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第一次オイルショックの背景とその歴史

第一次オイルショックの背景とその歴史

日本の歴史を扱ったドキュメンタリー映像などで、スーパーでトイレットペーパーに殺到する、オイルショック当時の映像を見たことがある方は多いと思います。「石油の価格が上がった結果、経済に大混乱が起こった」という程度しか認識していない方も多いと思いますが、実はオイルショックの裏側には長く複雑な中東の政治経済そして宗教が絡んでいます。

全てはサイクス・ピコ協定から始まった

全てはサイクス・ピコ協定から始まった
全てはサイクス・ピコ協定から始まった

大航海時代を経て、世界に植民地を増大させていったヨーロッパ列強諸国にとって、中東の勢力争いは「グレートゲーム」と呼ばれる大きな覇権争いでした。中東は、ヨーロッパ、アジア、アフリカの中間にある地理の要衝です。よって、中東をどの国が抑えるかは世界中で植民地経営を行っている国にとって大変な重要性を持っていました。

この中東の勢力争いに一応の回答を出したのが「サイクス・ピコ協定」と呼ばれる秘密協定です。秘密協定、という題名がある通りで、加盟国であるイギリス、フランス、ロシアの間で結ばれてはいますが、その存在自体が公表されなかったというものです。ここで、中東に大きな利害を有する3国は以下の通り勢力分割を行います。

シリア、アナトリア南部、イラクのモスル地区をフランスの勢力範囲とする。シリア南部と南メソポタミア(現在のイラクの大半)をイギリスの勢力範囲とする。黒海東南沿岸、ボスポラス海峡、ダーダネルス海峡両岸地域をロシア帝国の勢力範囲とする。

– Wikipedia: サイクス・ピコ協定より

サイクス・ピコ協定により、中東の勢力圏分割が完了するのですが、この数年前、中東におけるはじめての石油の発見とされています。中東は地理上の要衝であることは知られていたものの、膨大な石油資源を有する地域だという認識は誰にもありませんでした。この発見により、一気に中東の重要性が増します。具体的には、ヨーロッパ資本による石油資源の奪い合いが始まり、石油資源を核とした勝手な国境線の策定が行われます。この体制は第二次世界大戦まで続きます。

第二次大戦後も欧米資本に蹂躙される中東

第二次大戦後も欧米資本に蹂躙される中東
第二次大戦後も欧米資本に蹂躙される中東

第二次世界大戦で大きく国力を減らしたヨーロッパ諸国に代わり、中東に大きく関与しはじめたのはアメリカでした。アメリカは既に産油国でしたが、アメリカより多い石油が中東に眠っていること、そして石油の使用量が毎年急増していたことから、石油の確保に動きます。

具体的には、中東各国で親アメリカ政権の樹立に動き、アメリカの石油企業に有利な契約を結んで、石油を採掘することです。産油国は土地を提供するだけで、他の面倒な採掘作業を全て海外資本に任せることができましたが、利益の大部分を持っていかれるという屈辱的な契約でもありました。

こうした屈辱的な契約に反旗を翻したのが、イランのモサッデク首相です。モサッデクは、イランの石油を海外企業との合弁を改めて国有化しようとしますが、こうした動きを警戒したアメリカが反モサッデク勢力に援助を行いクーデターを起こさせて、モサッデク政権は転覆させられます。このように、「欧米資本による屈辱的な契約を飲むか、それとも政府を転覆させられるか」という二択を迫られていたのが1950年代、1960年代の中東諸国でした。

さらに、アメリカや欧米諸国は中東パレスチナに建国されたユダヤ人国家であるイスラエルを支援しています。パレスチナに住むイスラム教徒が、イスラエルにより住む土地を奪われたという事実に対し、中東諸国は全て激怒していました。そんなイスラエルを支援する国に権益を奪われているという事実も、屈辱度合いを増す理由となっていました。

オイルショックは産油国の「大勝利」だった

オイルショックは産油国の「大勝利」だった
オイルショックは産油国の「大勝利」だった

1969年、産油国であるリビアでリビア革命という名のクーデターが起こります。親欧米だった王政が倒され、代わりに軍人だったカダフィが指導者に就きます。カダフィは石油資本の国有化を行い、富の流出を食い止めたことである種のスター扱いをされます。「モサッデクが失敗したことを、20年近く経ってカダフィが実現した」のです。

これが一つの契機となり、中東諸国の意識が変わります。そして、1973年にエジプトとシリア(当時はアラブ共和国連邦という1つの国)がイスラエルを攻撃することにより第四次中東戦争がはじまります。そして、中東産油国はまだ貧弱だった産油国の地位を高めるための組織であるOPEC (石油輸出国機構)を用い、親イスラエルの国への石油輸出価格の引き上げを行う。これが第一次オイルショックの直接的な原因となります。

オイルショックは、日本のような国からすると災難でしかありませんでしたが、中東の産油国からすると、長らくの屈辱を晴らす機会を最大限に利用して、自国の利益と権力を増大させた大勝利の瞬間でもあったのです。そして、この勝利は6年後の第二次オイルショックへと続いていきます。

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