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水俣病の戦犯「チッソ」とその歴史

水俣病の戦犯「チッソ」とその歴史

戦後の日本において最も悪名高い公害は「水俣病」であるといっても過言ではありません。この水俣病を発生させた企業「チッソ」は現在どうなっているのか、見ていきましょう。

水俣病発生までのチッソの歴史

水俣病発生までのチッソの歴史
水俣病発生までのチッソの歴史

チッソを理解するためには、まず戦前までさかのぼる必要があります。チッソの旧社名は「日本窒素肥料」であり、窒素を用いた肥料を作る会社(化学肥料製造会社)というのが源流となります。そして、この肥料製造を柱としつつ、総合化学会社として発展を遂げていきます。チッソの中核工場の一つは、創業の地である長崎県水俣市に設けられた水俣工場となります。

チッソは戦後よりも戦前の方が巨大な存在でした。戦前の日本には、「15大財閥」と呼ばれる企業集団がありました。有名なものでは、三井、三菱、住友といったものですが、この中にはチッソを中核とする「日窒コンツェルン」もあったのです。なお、日窒コンツェルンは、朝鮮半島や満州での事業が過半を占めていたため、第二次大戦終戦時に資産の大半を失い、財閥としては瓦解しています。

戦後は、チッソの事業規模は一気に縮小されましたが水俣工場は顕在でした。水俣工場は、当時需要が高かったアセトアルデヒドを生産する中核工場として稼働を続けます。アセトアルデヒトは、アルコールを飲んだ後に二日酔いになる原因物質だと言われていますが、人工的に生産することも可能で、主に化学物質の合成や、酢酸の製造のために用いられていました。

このアセトアルデヒトを生産する際に、触媒として用いられるのが水銀で、この水銀を含む工業排水が水俣湾に流れ込んだことが、水俣病の直接的な原因です。

「人工呼吸器」で生き延びたチッソ

「人工呼吸器」で生き延びたチッソ
画像:毎日新聞

水銀を含む違法な工業排水を始めたのが1946年頃とされ、最終的に水俣病訴訟によりチッソの過失が認定され、補償が開始されたのが1973年です。この間、水銀を含む排水は予見不可能であったと一貫して責任を認めなかったこと、そして水俣病被害者に対する不誠実な対応により、チッソの企業イメージは地に落ちました。結果、1978年には債務超過ならび無配当が継続されたことにより、上場廃止に追い込まれます。

しかしながら、チッソは企業として倒産することはありませんでした。これには2つの理由があります。

1つは、法人向けビジネスが主のB2B企業であったことです。個人向けのB2C企業であれば、企業イメージの低下が致命傷になりますが、B2B企業であったため水俣病は致命傷にはなりませんでした。水俣病を起こしたという大きなマイナスがあったとしても、チッソという企業が生産する製品が取引先企業から支持されていたからです。

もう1つは、チッソが倒産すると公害の賠償責任を負う主体がいなくなるため、チッソを延命する必要性があったのです。1994年には経営難に直面したチッソに対して、金利負担軽減、融資などの支援が、国または長崎県から行われています。別な言い方をすると、「政府がチッソに人工呼吸器をつけてでも、延命させるべきと判断した」のです。

チッソは持株会社に、事業をJNCに移管

チッソは持株会社に、事業をJNCに移管
チッソは持株会社に、事業をJNCに移管

「チッソ」という名前は、事業を継続する上ではあまりに重く、印象が悪いものでした。このため、2011年には、チッソ株式会社は持株会社ならび水俣病補償を専門に行う会社となり、全事業をチッソ傘下に設立したJNC株式会社(JNCはJapan New Chissoの略)に移管しました。

チッソのホームページを見て頂ければ分かる通り、事実上何の事業も行っていない会社であるため、製品サービスの紹介などは一切記載されていません。そして、「特措法に基づく水俣病問題の解決にあたって」という、水俣病に関するページがたった1ページだけあります。掲載しなければ批判されるが、できるだけ過去の恥部を詳細に掲載したくないという知性を垣間見ることができます。

なお、会社体制が変更されましたが、事実上全事業がJNC移管されたため、多くの従業員にとっては「やっていることは変わらないが、社名が変わった」以外の変更点はありませんでした。とはいえ、従業員にとっては自分が勤務している会社が悪名高い「チッソ」ではなく、「JNC」となることは、心の重しが取れたような効果があったのではないかと推察されます。もちろん、新卒や中途の人材確保においても良い影響があることが想定されます。

チッソからすると、「もう十分に贖罪はした。何十年と社会的制裁も受けた。そろそろ新しいステージに立たせてほしい」ということでしょう。しかし、水俣病被害者ならびその家族にとっては生きている限り苦しみが続くものであり、こうした体制変更、社名変更には批判の声もあります。

このように、水俣病とチッソの関係からは、一企業が起こした甚大な公害が、企業自身ならび政府によりどのように処理し、それを乗り越えてきたかの一例を見ることができます。

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